5月11日に人気お笑い芸人トリオ『ダチョウ倶楽部』のメンバーの上島竜兵さんが死去したことが分かりました。芸能界にも衝撃が走りました。肥後克広さん、寺門ジモンさんらと『ダチョウ倶楽部』を結成し、バラエティー番組を中心に数々の持ちギャグで披露し活躍しておりました。
今回は、そんなダチョウ俱楽部のメンバーである、寺門ジモンさんの筋肉や年収と兄弟両親、身長やプロフィールに高校中学校についてご紹介します。





寺門ジモンのプロフィール・経歴・身長
・名前:寺門 ジモン (てらかど じもん)
・本名:寺門 義人 (てらかど よしひと)
・生年月日:1962年11月25日
・血液型:A型
・出身地:兵庫県川西市
・身長:169cm
・特技:マラソン・料理・美食・年に何回か山に入る事
・趣味:オオクワガタ採取・マラソン・料理
・所属事務所:太田プロダクション
寺門 ジモン (てらかど じもん) さん。本名は、寺門 義人 (てらかど よしひと) さんです。1962年11月25日生まれ、59歳です。身長は169cmです。
兵庫県川西市出身の寺門さんは、実家が山の頂上付近にあったため、幼少期より昆虫採集が趣味の活発的な少年でした。
また、小学時代には友達が8ミリカメラを持っていたため、仲間内で撮影ごっこをする遊びもしていました。その影響もあってか、中学時代は、黒澤明監督の映画オーディションを受けたようですが、残念ながら落選してしまったようです。
高校を卒業後、『テアトル・エコーの附属養成所』に所属し、役者を目指していた時期もありましたが、将来に不安を感じ、同期だった上島竜兵さんを誘って、コント赤信号が主催する劇団に移籍します。
その後、コントグループ「キムチ倶楽部」に合流した寺門さんは、色々な偶然が重なった結果、現在の「ダチョウ倶楽部」に近い体制になりました。
そして、当時タレントでもある渡辺正行さん立ち上げた、新人コント大会に寺門さん含め肥後克広さん、上島竜兵さんと南部虎弾さんで参加する事になります。この出会いがダチョウ倶楽部誕生となります。
1987年に南部さんが脱退後は、テレビで活動する機会が多くなり、1989年から「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」に出演を果たすとダチョウ倶楽部の知名度が世の中に知れ渡ります。
その後、寺門さんは、「バカを前面に押し出したお笑い」に方向転換し、幅広い世代に人気のお笑い芸人トリオになりました。
それから「ダチョウ倶楽部」として成功をつかんだ寺門ジモンさんは、グルメキャラとしても活躍の幅を広げていきました。
寺門ジモンの筋肉が凄い?
ダチョウ倶楽部はリアクション芸やモノマネ芸で人気のお笑い芸人トリオで、3人個々でも活動していました。
寺門ジモンさんは、“筋肉芸人”として活躍していた時期もあり「スポーツマンNo.1決定戦」の常連となっておりました。
私生活ではお酒や煙草も人付き合いも絶ち、芸人仲間から変人扱いされるほど、肉体を極限まで鍛えていたようです。さらに、寺門さんは、サプリメントや筋肉形成を補うプロテインも摂取せず、ジムのマシンすらも使わずに自身の体重だけを利用したトレーニング方法を30年間、1日も欠かさず続けてきたようなのです。
寺門さんは「ジムで鍛えた筋肉は、筋肉じゃない!自分は山で鍛えてるから」コメントし「人は裏切るけど、筋肉は裏切らない」と“迷言”を残していました。
寺門ジモンの年収
寺門ジモンさんは、食へのこだわりがとても強く、たくさん飲食店に通っていることから、高収入のリッチな芸能人だと思われがちです。
しかし実際の寺門さんは、グルメ優先の生活をするあまり、月に数回程度しか仕事を引き受けないようです。当然、働かない分、年収は低く、さらに収入の大半を食費に費やしている状況のようです。
また、50代にして実家の両親から仕送りをもらっているようなので、リッチだと思われているグルメ生活は親頼みなのかもしれませんね。
寺門ジモンの兄弟両親
寺門ジモンさんの父親は都市銀行員であり転勤族だったようで、出身地は兵庫県川西市であるものの、少年時代の大半を大阪府や東京都で過ごしていたそうです。
また、少年時代の寺門さんには早くもグルメな兆候が出ていたらしく、母親が手につけているハンドクリームの匂いにすら敏感だったようですね。
寺門さんには兄も1人いるようで、父親、母親の4人家族のようです。
寺門ジモンの高校中学
寺門ジモンさんの家庭は、父親が都市銀行員であったため、東京都と大阪府を頻繁に転勤していました。このため、出身は兵庫県川西市ですが、出身中学校は東京都の『中野区立第九中学校』でした。
中学校卒業後は、『東京都立鷺宮高等学校』に進学し、卒業後は役者を目指し、テアトル・エコーの附属養成所に所属するのです。
まとめ
今回は、ダチョウ俱楽部のメンバーである、寺門ジモンさんついてご紹介してきました。
テアトル・エコーの附属養成所の所属を経て、役者を目指していた時期もありましたが、同期だった上島竜兵さんを誘い、色々な偶然が重なり、肥後克広さんや南部虎弾さんと出会い、結果、ダチョウ倶楽部が誕生し、後に今の3人体制の『ダチョウ倶楽部』になり幅広い世代に愛されるお笑い芸人トリオになりました。
上島竜兵さんがお亡くなりなってしまった今、残されたダチョウ俱楽部のお二人の悲しみは計り知れないことだと思います。
これからのダチョウ俱楽部の活動はどうなってしまうのでしょうか。




